amazarashi×Aimer Asia Tour2018 in TOKYO
久々のライブ参戦。
「amazarashi×Aimer Asia Tour2018 in TOKYO」
今回はライブレポートのような形で記事をまとめていけたら、と思う。
半分は僕の日記でもあるので私情が多いのはご理解いただきたい。
ライブレポート記事自体初挑戦なのと、
主にamazarashiメインのレポートになっている。
Aimerさんについては、にわかにも程があるくらいの知識量しかないため、
至らない点が多いことは最初に断っておく。
本当にライブレポートって難しい。
少しずつ成長していこう、そのための一歩だ。
久々の豊洲。
僕がここに訪れたのはベストアルバム「メッセージボトル」を引っさげて行われた
昨年6月3日のLive Tour 2017「メッセージボトル」以来となる。
あれからもうすぐ1年経つのか、と思うと時の流れは本当に早い。
正直恨めしいほどに。
昨年のこの時期は生きていくだけで必死なのに、
大きなターニングポイントが3つ4つと一度に襲ってきてかなり疲弊していた頃だった。
今もそんなに大差ないが、あの頃より、幾分、タフになったものだ。
物販購入をしたい僕が会場に着いたのは割と早めの時間だった。
19時開演、18時開場の今回のライブに
それよりも4時間早めの14時に豊洲駅に着いたから、
そこから寄り道も含めるとだいたいプラス30分くらいだろうか。
写真にもあるように空は雲に覆われて、良い天気、とは言えない曇天であったものの
すでに物販の長い列ができていた。
amazarashiのライブ特有かと思われていたが、Aimerファンも半分を占める中、
ライブが始まるその時をじっと待つこの静けさは印象的だった。
ラバーバンドを購入して気合十分。
のはずが、僕は寒さに弱い。
あいにくの天気と寒さに一度会場を後にし、近くのららぽーとでぬくぬくあったまることにした。
ウィンドウショッピングのしすぎで戻った頃には開場からすでに30分経っており、
800番台の僕は3000番台でようやく入場を果たす。
実はこの時、小雨が降っており、
この後のライブの内容とマッチして、今でも思い返すとどうにも浸ってしまう。
余談だが、今回の会場「豊洲PIT」は東日本大震災復興のためのチャリティーイベントの活動拠点として建てられたコンサートホールである。
「PIT」は、“Power Into Tohoku!” から名付けられており、
豊洲PITによって生み出された収益金は、
東北三県のエンタテインメントを通じた復興支援活動のために、その全額が活用される、とのこと。
ドリンクコインと一緒に渡されたシールにも
このような趣旨でチャリティー活動をしているとあったので、
なるほど、なるほど、と一人感心していた。
前置きが長いのでライブまで駆け足で流していこう。
入場後、500円をドリンクコインと交換し、
ビールを片手にロッカーに手荷物を預け、ささっとホールに向かう。
遅れた自分が悪いのだが、会場内はすでに観客で溢れており、
中央付近の見えやすい位置には行けそうにもなかったため、
スクリーンからは少し遠目の場所から今回は眺めることに決めた。
ビールを口に運びながら高鳴る気持ちを抑える。
ライブの待ち時間に流れるバックミュージックが
もうすぐライブが始まることを暗示して、心だけが急かされる。
周囲の人たちもどこかそわそわしているように感じる。
この時間は毎度長く感じてしまう。
待ち焦がれているときほど
時間は悪意を持ってゆっくりと進むもんだ。
気になって何回もスマホで時間を確認してしまうのが億劫で、電源を切った。
まだか、まだか、と所在無げな口にまたビールを運ぶ。
3度目のビールに口をつけようした、そのとき、
不意にバックミュージックが途切る。
会場が暗転する。
観客のどよめき。
『始まる…!』
そう思った瞬間、
けたたましいバンドサウンドがライブハウスを、空間を切り裂いた。
amazarashiの「ワードプロセッサー」が開幕を飾る。
フルアルバム「地方都市のメメント・モリ」に収録されている曲たちは
どれもライブでは初対面だ。
このワードプロセッサーも同様に初対面で、
今のamazarashiを、秋田ひろむという人間を、象徴する自己紹介的な一曲。
ポエトリーリーディング曲でありながら、まっすぐな勢いと熱量を持った曲で
ライブでは映像とも相まってこんなにも迫力が増すものか、と驚きを隠せなかった。
「歌うなと言われた歌を歌う、目が眩む」
目が追いつかないほどの映像量とまばゆい光に、一瞬で、その世界に引きずり込まれる。
言葉の1つ1つが形を持って、自分の全身にぶつかってくるような衝撃。
「青森から来ました、、、amazarashiです!!!!」
一曲目からすでに会場の熱気で背中と額に汗がにじむ。
その汗を拭う間も無く、続けざまに鳴り響くバンドサウンド。
スクリーンには女子中学生が映し出される。
MVとともに「フィロソフィー」のイントロが、唸った。
一曲目の勢いを保ったまま、胸の内を叩いてくるような特徴的なメロディ。
ワードプロセッサーやヒーローなどアップテンポ揃いな新曲の中でも
ダイドーブレンドコーヒーのCMとのタイアップも果たした
この曲は特に胸の内からこみ上げてくるものがある。
「死ぬ気で頑張れ 死なないために
言い過ぎだって言うな もはや現実は過酷だ
成り損なった自分と 理想の成れの果てで
実現したこの自分を 捨てることなかれ」
ここの歌詞、今の自分にものすごく響いた。
夢を叶えるためには、死ぬ気で頑張らなきゃいけない。
どうせ誰も助けてくれはしない。
だからと言って夢を諦めて死んだように生きるなんてごめんだ。
死なないためには、生きて行くためには自分でなんとかするしかないんだ。
なり損なった理想の成れの果てを生きて
それでもあがきながら夢を追い続ける自分を
捨てることなく、このうちに抱えて走っていかなくては。
「悲しみを知っている 痛みはもっと知っている
それらにしか導けない 解が君という存在で」
ここのひろむの痛々しいまでの声が
これまでのひろむという一人の人間の人生を暗示していて、
胸がぎゅっと締め付けられた。
そしてその分、その後に続く、
「君の存在」の大きさを、その尊さを確信へと結びつけていく。
2曲目を終えたもうこの時には、僕はすでに汗びっしょりになっていたと思う。
会場の熱気はもうすでにキャパオーバー。
言葉の暴力、なんて比喩は相応しくないが、
それくらいに言葉が実体を、熱量を持って体を叩きつけてくる感覚がしたのだ。
そして続く3曲目はamazarashi随一の知名度を誇るといっても過言ではないだろう。
厳かなピアノのイントロとともに、
東京喰種とのタイアップ曲「季節は次々死んでいく」が流れ出す。
次々重なっていくバンドサウンド。
そして、秋田ひろむのハリのあるどこまでも伸びる歌声。
手を休めることなく、その勢いで会場をさらに盛り上げていく。
もはやamazarashiのライブの定番曲かもしれないが、
この曲はやはり完成度が高い。
映像は幾何学模様の中に歌詞を浮かべるという、
どこか不穏で怪しげな演出もこの曲にはとても相応しい。
「生き急げ僕ら 灯る火はせつな 生きる意味などは後からつく」
迷っている暇はない。
人生は一瞬の灯火だ。
生きている意味を探している暇があれば、前を向いて走るんだ。
そうしているうちに生きてる意味なんて後からいくらでもついてくる。
「そうだ行かねばならぬ 何はなくとも生きて行くのだ」
そうだ、ここに止まってはいけない。
あてがなくても生きていくしかないのだ。
「最低な日々が 最悪な夢が 始まりだったと思えば 随分遠くだ」
そうして走ってきて、振り返ってみろ。
あれだけ最低だ、最悪だ、と思っていた全部が随分遠く霞んで見えるだろう。
だから、今、走り続けるべきなんだ。
どこまでも背中を押してくれるようだった。
今の僕にはどの言葉も、勿体無いくらいに確かな重みを持って胸に刻まれていく。
今、僕が抱いている「夢」に、迷うことなく進んでいかなくちゃな。
会場の熱気が冷め止まぬ中、ここでMCが挟まれる。
「持ち時間は60分
時間にして11年
距離にして580km
文字にすれば7300文字
死にたい夜を越えて来ました」
これまで、彼らが
どれだけの夜を越えて、
どれだけの時間を費やし、
どれだけの距離を歩き続け、
どれだけの言葉を取捨選択、声に出して歌い続けて来たか。
そして、ようやくそれらが形となって与えられた
この60分に今の彼らの全力がぶつけられる。
そんな、確固たる意思がこの短いMCで宣言される。
続く一曲は、それまでのアップテンポからガラッと雰囲気が変わる。
中島美嘉への楽曲提供の後セルフカバーされた「僕が死のうと思ったのは」。
会場全体の熱気をそのまま全てステージに引き込んでいくかのような演奏。
会場の空気はすでにamazarashiに掌握されていた。
「僕が死のうと思ったのは あなたが奇麗に笑うから
死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから」
「あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ」
こんなに死にたい夜があるのは、
どこまでも真面目に、ひたむきに、生きたいと願うからこそだ。
生きたいと思わなければ、死にたい、とも思わないだろう。
そんな自己問答を、そんな夜を、何度繰り返しただろう。
そんな情けない僕に笑いかけてくれた人も、
いつの間にか過去になってしまったけれど、
そんなあなたが生きていると知っているだけで、
この世界も捨てたもんじゃないって思えるんだ。
ここで僕の涙腺は完全に崩壊していた。
そして空気感とミドルテンポを維持したまま、
流れるように「悲しみ一つも残さないで」の演奏に入る。
以前、当ブログでも考察したこの曲。
優しくどこか懐かしいメロディに心が安らぐ。
スクリーンの映像はシンプルなものだった。
旅ゆく人を点で表し、点の軌跡がまるでその人の旅路として描かれていくような描写。
むしろ、これくらいシンプルな方がこの楽曲にはあっていた。
「夢は夢だとうそぶいた
叶えてこその夢だと誰かが言った
夢を終えた奴らに耳を貸すな
君の夢なら 君が夢見ろ」
夢の旅路は、どこまでも孤独だ。
時には挫折や苦悩を伴う。
いろんな人の意見に惑わされることも、少なくない。
でも、君の夢は、君だけのものだ。
僕の夢が、僕だけの夢であるように。
今の僕には、どこまでも背中を押されるような心持ちがした。
こんなところで夢を諦めてなんかいられないな。
なんて思っているのも束の間。
ライブはものすごい勢いで進んでいく。
スクリーンには水中にいるかのような映像が映し出される。
まるでライブハウスが「水槽」になってしまったかのような響きで
ポエトリーリーディングが始まる。
「僕らは焦りで満たされた 水槽で生きてるから
僕らは恐れが充満した 喫煙室で暮らしてるから
今日が終わることに焦りも恐れもなく
清書された一日を 目でなぞる様に そして、あくびを噛み殺しもしない
誰かそのエアーポンプの電源を切ってくれないか
さもなくば僕がそうする」
どこか息苦しさを覚えるこの曲。
ライブハウスの閉鎖空間ともマッチして、楽曲の中に溺れていくような錯覚を覚える。
ポエトリーは毎回、インタールード的な意味合いで
amazarashiのライブでは歌われる。
もう中盤戦か…時間の流れがこんなにも早い。
水槽から途切れることなく次曲のイントロが続く。
それまでの穏やかな空気が一転、不穏な雰囲気がちらつく。
Aimerファンも多いことからあまり攻撃的な楽曲は選曲しないのかな、
と思ったらその逆だった。
最新アルバムで一番攻撃的な曲と言っていいだろう、
「空洞空洞」が牙を剥く。
「夢、希望も恨みつらみも
「君に会いたい」も「くたばれ」も
詰め込んだ火炎瓶で 世界ざまあみろ
空洞空洞」
水槽と火炎瓶の対比、
閉鎖空間での息苦しさをそのまま吐き出すかのような歌い方、
ここの構成は見事としか言いようがない。
「この曲には意味がない、意味を持たせるとこの曲の価値がなくなる」
と解説がされている曲だが、
意味のないことに価値を見出して、
それを楽曲にして、ライブで披露するもんだから、本当に頭が上がらない。
空洞空洞の演奏から続いて、スクリーンには「ラブソング」の文字が。
溢れかえった”ラブソング”への皮肉が込められた楽曲。
棘のある曲をここぞとばかりにぶち込んでいく。
「愛すら知らない人が 居るのは確かだ
それを無視するのは何故だ
それを無視するのが愛か?」
「夢すら持てない人が 居るのは確かだ
それを歌にしては駄目か?
それを無視するのが歌か?」
世の中のタブーとされること、もみ消されること、影を落とす部分、泥臭さ。
そう言った部分も包み隠すことなく、歌い上げる彼らだからこそできるパフォーマンス。
amazarashiらしいな、なんて、当然のことをふと思った。
不穏な曲が立て続けに地を踏み鳴らす。
ライブハウスがamazarashiの色に塗りつぶされる。
僕の頭の中はすでにスクリーンの映像とバンドの演奏とひろむの声とで
高揚してオーバーヒート状態。
どこかふわふわして夢心地になっていたようにも思う。
が、次の瞬間。
「虚実を切り裂いて」
途端、この不穏なライブハウス空間に亀裂が走る。
「蒼天を仰いで」
スクリーンには真っ青なまでの晴れ空。
僕のヒーローアカデミアとのタイアップ曲であり、
amazarashi史上、最速テンポを誇る楽曲「空に歌えば」。
それまでの不穏な空気が一瞬で消し飛ぶ。
これまでの楽曲でも歌われてきたように
生きている中では、どうしようもなく息苦しいときや、
怒りに我を忘れるような経験をすることも少なくないかもしれない。
そういった日常に降りかかる苦悩は一度去ったとしても
いずれ形を変えて、また何度でも襲ってくるんだということは、
僕等はすでに知ってしまっている。
「有限 有限 残り僅かな未来だ それ故 足掻け」
だからこそ、その苦悩の中にいるときにこそ
「足掻け」
と歌い、自分を鼓舞するのがまさにこの楽曲である。
僕等はこうやって何度も躓いてボロボロになりながら、
でもそのたびに足掻いてでも前に進んでいけたのなら
それはそれでいいのかもしれない。
そうやって何とか人生を走り抜けて
ふとした時に振り替えると
驚くほどたくさんの
出会いや別れ、夢や挫折、成功と失敗、希望と絶望、大切な人々、景色、思い出が
積み重なっていたことに気が付くものだ。
次に演奏された楽曲「美しき思い出」は、そんな思い出たちについて歌っている。
秋田ひろむの人生の思い出をそのままコラージュにしたようなこの楽曲。
スクリーンには映像がとめどなく映し出され、
過ぎ去っていった思い出の数々に気付かされ、
頭の中を一瞬で駆け巡り、その情報量と感情とに圧倒され、困惑する様を
描写しているかのようだ。
「ありがとう ありがとう 大嫌いだよ 美しき思い出」
今の僕を形作っているのは、
もちろんこの美しい思い出たちなのは言い逃れようがない。
これだけたくさんの温もりに触れてこられたことに
感謝していないわけじゃないが、
それでもそれらが過ぎ去っていく寂しさや悲しさには本当は触れたくなかった。
だから、美しい思い出は大嫌いだ。
「忘れたいこと 忘れたくないこと」
この温もりがいつまでも鮮明に残っていてほしい反面、
いっそ忘れてしまえたら、どんなに楽だろう。
ライブ特有のアレンジで、最後に
「忘れたいこと」
と張り裂けんばかりの声で歌い上げる姿は毎度のように圧倒される。
ここでMCが挟まれる。
「とても光栄な機会をいただけて、いろんな景色を観て、とても受け取るものが多いツアーでした」
「いい夜も、悪い夜も、いろんな夜を越えてわいたちがあると思います」
今回のツアーやそれまでのこと短い言葉でを振り返る秋田ひろむ。
会員限定の日記でライブの光景や出来事について書かれていたこともあり、
amazarashiとしても大きな成長を感じるツアーだったことは間違いないだろう。
そしてそのツアーの一片に参加できたことをすごく誇らしく思う自分もいた。
「残り2曲です」
なんとも名残惜しいが、
貴重な残り2曲、
最後までこの身に焼き付けようと背筋が伸びる。
緊張感が増したライブハウスに、ピアノの音が鳴り響く。
心とは何なのか、全てを投げ捨てでも守りたいものとは何なのか。
ニーアオートマタとのコラボ楽曲でもある「命にふさわしい」が演奏される。
「全部を無駄にした日から
僕は虎視眈々と描いてた
全部が報われる朝を」
どんなに最悪な出来事が起ころうと、彼は諦めなかった。
どの楽曲でも垣間見えるが、この楽曲では特にその意志の強さが感じられる。
「心を失くすのに値した その喪失は
喜びと悲しみは 引き換えじゃなかったはずだ
道すがら何があった? その答えこそ今の僕で
希望なんて いとも容易く投げ捨てる事はできる
心さえなかったなら」
心さえなければ、何かを失って悲しむことも、挫折によって失望することもなかったはずだ。
でも、この心があったからこそ
人生は何かを得て喜ぶことができ、
希望や夢を捨てずに人生に色味を残すこともできた。
それをどう捉えるかは、人によるが、
僕はこの心があったからこそ、
このライブでも感動できたし、
大切な人と過ごした日々を幸せに感じられたし
今この瞬間も前を向いて生きようと思える。
「光と影」
クライマックスではスクリーンが眩しい光に覆われて、
遠目から見ていても目を開けていられないくらいだった。
amazarashiが希望を、光を描く時は
必ず、その逆の影の部分も光の描写以上に歌い上げている。
一貫して崩さない姿勢であり、
改めてこの曲もamazarashiの、秋田ひろむの意思が濃く刻まれているのだと実感した。
そして最後の一曲。
スクリーンには宇宙を駆ける孤高の方舟列車が映される。
「スターライト」
インディーズ時代から歌われ続けている
amazarashiを象徴づける楽曲の1つ。
「きっといい事ばかりじゃないけど だからこそ 僕らは行くんだよ」
「きっと悪い事ばかりじゃないよ
隣に あなたが居るなら」
これまで経験した、いいことも悪いことも含めて、全てが僕らを形作っている。
だからこそ、夢に向かうには、新しい自分を形作るには、
これからもたくさんのことを経験していかなくては。
その隣に、もしくは心の中に、あなたの面影があるだけで、きっとどんなことも越えていける。
「夜の向こうに答えはあるのか それを教えて スターライト」
はるか遠くに描く夢や希望は、宇宙に瞬く星の光のようだ。
遠く長い旅路、その中で泣き笑いを僕らは延々繰り返す。
今日この日も、その1つの停車駅だったことは間違いない。
「いつか全てが上手くいくなら 涙は通り過ぎる駅だ」
そう、いつか、夢を叶えるその日まで
僕らは進んで行くんだ。
「持ち時間は60分
時間にして11年
距離にして580km
文字にすれば7300文字
死にたくなる夜をいくつも越えて今ここにいます
この7300の言葉たちが、輝きを持って
皆さんの心の中に少しでも何かが刻まれると幸いです」
「amazarashiは終わり、Aimerさんに託します。
最後に1つだけ……ありがとうございました!」
大きな拍手が会場を満たす。
僕の心もすっかり満たされてしまった。
柄にもなく大声で完成をあげて隣の人をびっくりさせてしまった。
ここで一度セットリストを振り返ってみる。
ワードプロセッサー
フィロソフィー
季節は次々死んでいく
僕が死のうと思ったのは
悲しみ一つも残さないで
水槽
空洞空洞
ラブソング
空に歌えば
美しき思い出
命にふさわしい
スターライト
Aimerファンを思ってか、全体的に歌詞をスクリーンに投影している楽曲は多かった。
また、人気曲と最新曲をふんだんに盛り込んであり、
amazarashiのライブが初めて、という人でも知っている曲が多く、楽しめたのではないかと思う。
この後、一度明転し、Aimerの演奏に移っていく。
Aimerさんについてはあまり詳しくは語れないので、セトリや雰囲気を伝えていけたらと思う。
insane dream
brave shine
holLow wORID
花の唄
ninelie
LAST STARDAST
Ref:rain
蝶々結び
カタオモイ
ONE
Stars in the Rain
アルバム「daydream」の楽曲を中心に、個人的に知っている楽曲が多く、
「あっ、この曲!」と思っていた以上に楽しめたのは懐の深い選曲のおかげだと思う。
序盤はバンドテイストの強い、エモーショナルな楽曲で展開し、
徐々にその歌声を最大限に活かせるような壮大でドラマチックな曲へ。
後半は落ち着いて、ゆったりした曲が多かったが、
途中手拍子が入るなど、
ライブパフォーマンスにも凝っていた。
僕の中で、Aimerさんは謎に包まれた歌姫という印象が強く、
真っ白なワンピースを着たAimerさんが会場内を小走りし、満面の笑顔で手を振っている姿は
それまで抱いていた雰囲気とは違って、いい意味で印象的だった。
他の方が歌のお姉さん、と称していたが、本当にそんなイメージ。
MCでは、
「今日はお会いできてうれしいです。
最後まで心を込めて歌います。
どうぞ楽しんでいってください」
とamazarashiに比べたら幾分シンプルだが、労いを含んだ言葉で、
それだけに親近感や身近さを感じることができた。
何より驚いたのが、彼女の声。
「振幅ゆらぎと周波数ゆらぎが同時に発生している、非常に稀な声の持ち主」
と言われている彼女の歌声を楽しみにしていたのだが、期待を大きく超えていった。
どこまでも伸びていく声の安定感と世界観を表現する技術力は他に類を見ないくらいだと思った。
僕の中で特に印象に残った曲は、
「insane dream」「花の唄」「Ref:rain」「蝶々結び」「ONE」…
なんて絞りきれないくらい、どの曲も印象深く残り、最後にはアーティストってやっぱりすごい…
なんて陳腐な表現しかできないくらいに圧倒されてしまった。
それでも一曲だけあげるとしたら、「Stars in the Rain」だろうか。
amazarashiの締めがスターライトだったように、こちらも星にまつわる楽曲だった。
と同時に雨にまつわる楽曲でもあるから、
amazarashiとの対バンライブにはうってつけだったのかもしれない。
この曲はONE OK ROCKのボーカルTakaさんが楽曲提供をし、アルバム「day dream」の一番最後に収録されている楽曲である。
「街を今 傘もささずに 宛てもなくて」
「凍えそうな雨に また泣きそうな夢を
ただ 失くさないように 肩寄せあった二人」
雨にうたれる中、失くしてしまいそうな夢を
泣きそうになりながらも、必死に守ろうと
肩を寄せ合う人々の描写。
寂しさの中に、温もりを感じる歌詞とメロディは聴いていてとても心地が良かった。
ライブ会場を出ると開場時にぱらついていた雨がまだ続いていて、
最後の曲の余韻に浸りながら、僕は帰路についた。
この二人が共演するツアーに参加できたことを、
この貴重な機会を経験できたことを、
僕は誇らしくも有り難くも思った。
そして、ここで止まってはいられないな、とも再確認できるライブとなった。
amazarashiはもちろんだが、いつかまたAimerさんのライブにも参加できたらいいな。
ここも一つの停車駅。
忙しない日々は続くけれど、この日の景色が、言葉たちが
いずれ僕の支えになるんだと確信した。
東京の夜。
星は見えないけれど、心の中の希望は失くさないように。
これからも頑張っていこう。
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