それはまた別のお話 ー考察ー


今日はamazarashiのフルアルバム「夕日信仰ヒガシズム」から

「それはまた別のお話」という楽曲の考察をしていく。


このアルバムはタイトルだけを見ると

何かの宗教なのか、仰々しい、と

初見の頃の僕には思われたものだ。


実際、アルバム全体を通して、

ひろむの生活の中から生まれた主義(イズム)、社会規範を

詰め込んだような楽曲群が連なっている。

秋田ひろむ、という人間がこういう主義のもとに生活しているんだ、という、

より実生活に寄り添うような、泥臭さや温かみのあるアルバムになっている。


そして、アルバムの最後を飾るこの曲「それはまた別のお話」は、

このアルバムのテーマの根底を色濃く描いている楽曲でもある。


楽曲で描かれる世界の季節は冬の終わり目、もうすぐ春が来る時期。

以前考察したさくらとは季節感が逆転してしまうが、

まだまだ肌寒いこの季節だからこそ、温かみのあるこの曲を考察していきたい。


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あれから僕ら幾星霜

始まりが遠くに霞む

国道の朝焼け

浅虫の黄昏

辛い事 泣いた事 笑った事

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僕らがこの旅を始めてから、だいぶ時が経ったようだ。

あの時の景色が霞んで思い出される。


アマチュア時代のライブの帰り道、

国道の朝焼け、浅虫市の黄昏。


そこで起こった辛いことや泣いたこと、笑ったことの数々。


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一つが二つあって 手を結んだら一つで

二人が分かち合って 一つずつの夢

悲しみのない世界で 眠って 眠って

明日の事とか それはまた別のお話

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僕ら一人一人の心にはどこか孤独な気持ちがあるかもしれない。

でもお互いの手をとってみれば、

日の光に照らされてできた影が繋がってひとつに見えるように

それぞれが抱く、一人ぼっちな夢とか悲しみとか全部、二人で分かち合えるんだ。


今日の悲しみはここにおいて、

せめて夢の中では笑っていられるように、

明日の不安とか日々の悩みとか、

それはまた今度考えればいい。


ゆっくり目を閉じて、

今はただ、眠るんだ。


ーーーーー

冷たい雪の粒が

思い出を積み上げる夜

君は優しく笑う

春を待つ想望

ストーブがしんと鳴る部屋の中

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冷たい雪の粒が夜中のうちに降り積もるように、

気がついた時には、悲しい思い出も積み重なっているものだ。

時折不安に駆られる僕を見て

君はそっと、優しく笑う。

大丈夫、もうすぐいいことがやって来る、

温かい季節がやって来る、

そんな、春を待ち望むような表情で。


ストーブの音だけが響く、二人だけの静かな部屋の中。


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一つが二つあって 名を呼び合えば一つで

二人が分かち合って 一歩ずつの歩み

悲しみのない世界で 眠って 眠って

明日の事とか それはまた別のお話

ーーーーー


僕ら一人一人の孤独も、名前を呼び合ううちに心がひとつになって

その心に抱く悲しみも幸せも分かち合いながら、

お互いが一歩ずつ歩み寄る。


今日もまた悲しみはここにおいて、

夢の中では二人笑っていられるように、

明日の不安とか日々の悩みとか、

また今度考えればいい。


ゆっくり目を閉じて、

今日もただ、眠るんだ。


ーーーーー

辛い事も 泣いた事も 笑った事も

赤くなる

夕焼けがやってくる頃に

僕らは皆赤くなる

いい人も 悪い人も 怒った人も

赤くなる

夕焼けがやってくる頃に

等しく皆赤くなる

ーーーーー


今日もまた夕焼けがやってきて

世界を赤く染めていく。


辛い出来事も、悲しくて泣いたことも、笑いあった時間も

赤く染める。

笑った顔の人も、無愛想な人も、怒ってふくれっ面になっている人も

赤く染まる。


もちろん僕も君も、

夕焼けがやって来るとき、

みんな等しく赤くなる。


そうして、今日もみんなそれぞれの1日が終わっていく。


ーーーーー

一つが二つあって 笑い合えたら一つで

二人が分かち合って たった一つの願い

悲しみのない世界で 眠って 眠って

明日の事とか それはまた別のお話

ーーーーー


僕ら一人一人の孤独も、一緒になって笑い合えたらそれでもう心は一つで、

これからもただ笑っていきていけたら、と

この願いも、笑い声にそっと添えてみる。


どうせ明日も笑ってばかりはいられないだろうけれど、

せめて夢の中では笑っていられるように、

今日の悲しみはここにおいて、

明日の不安とか日々の悩みとか、

それはまた今度考えればいい。


ゆっくり目を閉じて、

今日もただ、眠るんだ。


〜おしまい〜



とてもシンプルで、

終始穏やかで温かみのある雰囲気とメロディに包まれた楽曲だ。


この楽曲を深める上で重要なキーワードはふたつ

「笑顔」と「夕日」だ。



誰でもそうかもしれないけれど、僕は「笑顔」な人が好きだ。

当の本人は1日の大半を無表情で過ごすが、

笑顔な人には無条件で好感を抱く。

僕も自然と笑顔が溢れる人間になれたらなと、よく思う。


楽曲紹介でひろむはこんなことを話している。


「日常生活の綺麗な部分だけを見て生きていきたいですが、

 そうもいかないこともあって、

 明日も今日と同じだけ笑える確証なんてないし、

 でもだからこそ、という歌です」


毎日笑って生きていけたらいいのに、きっと誰もがそう思うだろう。

でも僕らは生きている限り、泣き笑いを繰り返す。


場合によっては笑えない日々が続くこともあるだろうし、

びっくりするほど幸せな日が訪れるかもしれない。


明日が笑えるなんて保証はどこにもない。

でもだから不安を抱えたままでいるのではなく、

夢の中であってもいい、

1日の終わりにはせめて温かい気持ちでいられるように、

それはまた別のお話だ、と締めくくる。



ちょっと余談だが、「笑顔」というキーワードに絡めて、

僕が好きなCMを合わせて紹介したい。


妻夫木聡が出演しているグリコのCMで

「子どもは1日平均400回笑う」

「大人になると15回に減る」

というトリビアが添えられているが、

僕らが大人になるにつれ、笑顔はこんなにも少なくなる。


でも

「誰かと一緒の方が、30倍も笑いやすい」

ともあるように、

誰かと一緒にいるだけで

人は少しだけ幸せになれるのだ。


YouTubeからCMを引っ張ってきたので

もし時間があればこちらの動画(1分30秒)も覗いてみてほしい。

妻夫木くんかわいい。




そして、このアルバムタイトルにも楽曲にも共通して出ててくる「夕日」。

これについては対の詩も合わせて考察していこう。


ーーーーー

始まりを振り返るには早すぎますが

ちょうど足を止めたところですし

今のうちに話しておこう

僕らの始まりと

いつかは訪れる終わりについて

ーーーーー


この長い人生の中で、

僕らは何度も始まりを振り返る。

振り返るには全然早いとも思うけれど、

ちょうどいいタイミングだ。


足を止めた今のうちに、

僕らの始まりと

そしていつか訪れるであろう終わりについて

話しておこう。


ーーーーー

例えばこの夕日

何故、夕日が切ないか考えた事がありますか

今日が終わるから悲しいのですか

明日がやってくるから悲しいのですか

太陽がいなくなるのが悲しいのですか

夜がやってくるから悲しいのですか

僕らはいずれ死にますが

ミクロな死を毎日示されている様な

おまえはいずれ死ぬんだ、忘れるな

と毎日諭されている様な

僕はそんな気がしています

ーーーーー


例えば、夕日。

なぜか夕日を見ていると胸が締め付けられるような、

切ない気持ちになる。

悲しい気持ちになる。

一体、それはなぜなのか。


今日が終わってしまうから?

明日が、夜がやってくるから?

太陽がいなくなるから?


きっとどれも間違いではないと思うけれど

それらは、いずれやってくる終わりについて暗示しているのだと思う。


僕らにとって一番大きな意味での終わりは「死」だ。


いずれやってくる死へのカウントダウンとして

お前はいつか死ぬんだと諭されて

僕らはこの死の最小単位を示されている。

僕はそんな気がする。


ーーーーー

明日も笑えるようにと願うのは

もう止めましょう

それよりも今笑いませんか

話しは変わりますが

明日どこか出掛けませんか?

ーーーーー


僕らはいずれ死ぬ。

終わりが訪れる。

だからこそ、明日も笑えるようにと、

不安の中、願うのはもうやめよう。


それよりも、今、この瞬間に笑ってみよう。

明日に託すのではなく、今この場で笑ってみるんだ。


ほら、明日ももしかしたら笑えるんじゃないかって、

不安が少し軽くなっただろう。

明日のことが少しだけ楽しみになるだろう。


ところで明日どこかへ一緒に出かけませんか。


〜おしまい〜



僕は「死」という概念を扱うのが苦手だ。

何故か、当然それは”わからない”からである。


きっと誰もが経験するように、

僕にも死にたいと思う夜が何回も訪れた。


でも毎回決まって恐ろしくなる。

死んだらどうなるのか。

死んだ後、生きていた頃の僕が残した足跡はどうなるのか。


まぁこの思考の時点で未練タラタラなわけだが、

そういう日に夜の星を眺めていると自分はなんてちっぽけなんだろうと不安に駆られる。


僕らが夕日を見て悲しくなるのは

いずれ必ず死は訪れるのだと

毎日のように諭されるからだと、ひろむは例えるが、

きっとこれは夕日に限った話でもないのかもしれないな。



僕たちが常に有限の中にいるならば

悲しみが訪れるのは必然だ。

だって僕らが死ぬことがないのであれば

永遠の別れがくることも、終わりがくることもないのだから。


だからと言って、

今この瞬間を生きている僕自身がこれから先、長い人生で

ずっと不安を抱え続けたまま生きていくのも、なんだか馬鹿馬鹿しく思える。


明日笑おうと託すより、願うより、今この瞬間に笑おう。

どうしても笑えないなら、せめて夢の中だけでも笑おう。

そうするだけで、少し未来が明るくなるような

明日も笑えるかもしれないって、そんな気がしてくるはずだから。



うん、区切りもいいし、今日はこの辺で終わりにしよう。


今日抱えてる不安はここにおいて、

今はただ眠ろうと思う。


夢の中では笑ってるといいな。

(ここ毎晩歯ぎしりに悩まされているので尚更)


おやすみなさい。

ここじゃない、どこかを探す。

amazarashiの楽曲考察がメインです。 思考の至らない点、過度な深読み、勘違いなどなど 未熟な部分は多いと思いますが、 自分なりに努力して成長していくので 温かい目で見守っていただけると嬉しいです。 気ままに更新していきます。 もし気が向いたら、コメントやメッセージをいただけると一層やる気が出ます。 よろしくお願いします。

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